御成街道は、船橋御殿から東金御殿までの10里15町(約37km)、 道幅3間(約5.5m)のほぼ一直線の道路で、慶長18年(1613)に徳川家康が 東金への鷹狩を第一の目的に、佐倉藩主土井利勝に命じて造らせたものである。

 家康の命を受けた利勝は、沿線96ケ村の名主を召集して村ごとに 工事区間を分担させた。昼夜兼行で造ったので別名「一夜街道」「提灯街道」 とも呼ばれている。

 旧道の面影を残しているのは、八街市沖地区と東金市滝地区(おあし坂) のみで、その大半が舗装されてはいるが、船橋から東金まで一部を除きその跡を 辿ることができる。




参考文献:

[1] 百街道一歩の東金御成街道

[2] 百街道一歩の成田街道 > 成田街道3船橋〜前原

[3] 百街道一歩の東金御成街道 > 東金御成街道1 前原西追分〜長沼原

[4] 百街道一歩の東金御成街道 > 東金御成街道2 長沼〜金親

[5] 百街道一歩の東金御成街道 > 東金御成街道3 金親〜油井

[6] 百街道一歩の東金御成街道 > 東金御成街道4 油井〜東金御殿原

[7] 東金街道歩き旅 1

[8] 東金街道歩き旅 2